平成の聖徳太子

徒然なるままに日暮らし、頭を使ってなんとかハッピーな野郎になろうとするブログです。

運命(はげ)にあらがおうと思う

おばんです。


さて、夏の暑さも弱まり、秋の風を気持ちよく感じる季節になりました。頭皮で。


小生、齢24歳となる好青年なるも、毛髪だけは管理職並みの貫禄を感じさせる男です。


嘘です。流石にまだ貫禄は携えておりません。しかし、私の頭皮から毛髪が逃避するのは運命であります。遺伝子的に運命なのです。


私の父は1人、祖父は2人、曽祖父は4人おりますが、全員輝かしい頭を携えております。

親戚一同例に漏れず輝かしいです。頭皮が。


我が一族は禿げる運命にある。


このことに気がついたとき、私は中学生でした。メンデルの遺伝の話を聞いてしまったからです。

当時は困惑し、傷つき、途方に暮れておりました。


どうして私がこんな悲しい未来を背負わなければならないか、親にあたったこともあります。なぜ私が…



中学生の私は真面目で実直であり、正直と継続こそがこの世でもっとも力になると信じておりました。


従って正直に実直に生きてきました。それなのになぜ私はこんな悲しい定めを背負わなければならないのか理解できませんでした。


遺伝とは、なんと恐ろしいのか。後天的な努力や習慣では太刀打ちできない、どうしようもない脅威に感じたのです。地震や台風並みの理不尽を感じました。


私は中学三年間をかけて、禿げることへの恐怖を克服しました。シンプルに発想を変えたのです。




人は視力が低くなると、メガネをかけます。


髪が抜けたら、カツラを被ればいいんだ…



コペルニクス的展開でした。



メガネを掛ける理由とカツラを被る理由が同じであると考えた時、禿げることが怖くなくなったのです。


現代でもそうですが、カツラを被ることは恥ずかしいこと、面白いことという認識が一般的です。


正直、私も電車で寝ている紳士の頭皮がずれた時はヒザから崩れ落ちて笑いました。


なぜ、面白いのか。本当に不思議です。


メガネを外してる人を見て笑ったことはありません。

義足を外してる人を見て笑ったこともありません。


しかしカツラが外れたら、何故かとても面白いのです。


不自然だから、見栄を張ろうとして失敗する様が無様だから、等多くの可能性を考慮しましたが、見慣れないから、というのも要員の一つであると思いました。



小島よしおさんの天才的なネタを初めて見た時の衝撃を覚えていますか?


初めて見た時は、腹筋が攣るほど笑いました。天才だと思いました。


ところが数年経ち、そんなの関係ねぇ、と叫ぶところを見て感じるのは、小島よしおさんの肉体美であり、ネタの素晴らしさでは無くなってしまいました。端的に言うと、慣れてしまったのです。


笑われなくなるためには、慣れてもらうという方法が有効だと考えたのです。


当時は中学三年生で、吃音も今よりひどく、どうすれば笑われなくなるかというのは、私にとっては一大プロジェクトのような課題でした。


当時はオリエンタルラジオさんだったと思いますが、笑いを無力化するのに「慣れ」というのが大きな力を持つことに気がついたのです。


従って、カツラをかぶり、その脱着の様を皆様に頻繁に見ていただき、慣れてもらえば、私の禿げとの闘争は終結すると考えたのです。


これはある意味、運命を受け入れた上での解決策を模索したということになります。






しかし、時代がかわり、山中教授らのご尽力により再生医療という畑が開拓されました。


このころから、運命に抗えないかと考えるようになりました。


さらに少しばかり時が立つと、あるCMが目につくようになりました。


「その薄毛、お医者さんでなおせます〜♫」


そうです。AGAです。


お医者さんハゲ治せるの?まじ?



衝撃でしたね。改めて、医者という仕事が神の定めた運命に抗う大変な仕事だなと感心しました。人智を超えた仕事だなと。


数年迷いました。

果たして、AGAを使うことは人として正しいことなのか。


髪が抜けることに、なにか意味があるのではないか。それを遅らせることで、なにか大切なものを無くしてしまうのではないか。



迷いました。




でも思いだしたのです。私の望みを。


本当の幸せを探した時に、愛し愛されたいと考えるようになりました。


敬愛する椎名林檎さんの幸福論という作品の中の一節です。



そうです。私は幸せになりたいのです。幸せになるために、勉学や武道を通じ、頭と心を鍛え、多くの人と交流し魂を磨いてきたのです。


幸せとはなにか。


何年か考えましたが、煩雑になり、収束せず、曼荼羅図のような様相になったので、先人の言葉をひとまず借りようと決意しました。


たくさん調べた中で、もっとも

「ああ、そうだよなぁ。」

と思ったのが椎名林檎さんの幸福論の一節だったのです。



私は愛し愛されたい。



私が愛されるために、何が必要か。

その一つに容姿があると思うのです。


最終的には思想や習慣が織りなす人柄や精神だと信じたい。


でも、そこに行き着くまでの取っ掛かりとしては、容姿やステータスがどうしても必要だと思ったのです。




私が塾講師のアルバイトをしているときに、多くの女子中学生がイケメンの男子中学生1人に群がっていて、どうして彼がイイと思うんだい?と純粋な好奇心で聞いたのです。


「かっこいいから。」


「中身は大事じゃないのかい?」


「中身なんて見えないよ。先生は見えないものなんて信じられる?」




感心しました。この年にしてベーコン並みの経験論を携えているとは…


でも、もうちょっと形而上学にも興味を持って欲しいなぁ…てへぺろ




確かに中身は大切です。でも、中身は上っ面には中々出てきません。


相当じっくり時間をかけて、その方の所作や言動を観察しないとわかりません。



しかし地球には35億人もの異性がおり、日々何人もの異性と交流をしなければならず、その全員の中身を観察しようとするのは大変骨が折れます。



したがって、ざっくりと狙いを定めます。



就職活動の学歴フィルターと同じようなものだと思いますが、何人かの上玉を見落とすリスクを取る代わりに、確率的に素晴らしいものが高い層を見極めるのです。



そのフィルターの一つに容姿というのが大きく存在していると考えました。


容姿がタイプの人を重点的に観察しよう。そして内面までもが素晴らしければ、アプローチしようと。


しかしこれはなにも、私に限った話ではありません。



お前が深淵を覗いた時、深淵もまたお前を見ているのだ…的な。



多くの女性もそうなんではないかと考えたのです。


私にも、容姿が必要です。

でも、私は高橋克実さんのようなナイスな顔面はありません。

高橋克実さんくらいのイケメンなら髪は必要ないかもしれません。


しかし私は、本当に聖徳太子の目つきを悪くしたような顔なのです。


私には、髪が必要なのです。


私は幸せになるために、運命(ハゲ)に抗ってみよう。そう決めたのです。


生えたら、報告したいと思います。


以上