平成の聖徳太子

徒然なるままに日暮らし、頭を使ってなんとかハッピーな野郎になろうとするブログです。

何人と出会えば恋人ができるのだろうか

パレートの法則というのがある。2:8の法則で知られているものだ。

2割の存在が8割の結果を出し、8割の存在が2割の結果を生み出している。とかそんな感じのやつ。


私が浪人している時に教わったのは、2:6:2の法則。2割は現役時代よりも良い大学へ、6割は現役時代と同様の大学へ、2割は現役時代より入りやすい大学へ行くというものだ。


群衆の法則性みたいなものだと認識しているし、私の僅かな経験則から、なかなかいえて妙ではないかと思っている。


これを恋愛に当てはめると、

10人の女性と会えば、2人は私に好意的であり、6人は好意的にも嫌いにもなり、2人は私に嫌悪感を抱くということだ。


つまり、私を好きになってくれるひとは10人に2人と言えるのではないか。


次に、私の告白成功率を乗ずる。

25%である。


従って、2/10×0.25=1/20

20人の女性と知りあい、私が告白しまくれば1人と付き合える計算になる。


余裕である。

こんなに容易く意中の人とツーカーの仲になれるわけがない。

意気揚々と街コンに行ってみたが、わたしの計算には課題が残っていると気がついた。



2点問題がある。


一つは私が相手を好意的に見る確率、2/10を乗じていなかったこと。

二つ目に、告白成功率が統計的に有意でないことである。トリビアの泉の検証をする時には、有意な確率を得るには、2000回の試行を行わなければならない。と何処かの先生が仰っていた気がする。

この前も、33%から25%に下がったばかりである。この数字は、試行回数に乏しい現状では容易に変動する。


二つ目の誤算を無視して

再計算してみると、

2/10×2/10×0.25=1/100


私は100人もの女性と知りあい、心に生傷を作り続けながら告白し続けないと彼女が出来ない計算になってしまった。


しかも告白成功率によっては、もっとたくさんの人と会わねばならない。


無理である。心が先に折れてしまう。


世間のかれし、かのじょ関係の皆様、ご結婚をなされた方、本当に素晴らしいです。


産まれてくる確率は、ザックリと

1/300000000×1/400×n(ぱぱのがんばった回数)

である。

この世に生まれた時点で、皆様はすごい倍率を勝ち残ってきた猛者である。


その猛者ですら、100人に声をかけないと彼女が出来ないのである。


ほんと、愛するかれし、かのじょがいる人は素晴らしい。もう素晴らしいとしか言いようがない。お前らは素晴らしさを噛み締めながら奥歯すり減らしてろ。このやろう。


でも、東京に暮らしてる人の生涯未婚率30%というのを考えると、皆須らく出会う努力をしまくってるということになるであろう。

7割も結婚してるのだから。


すげえよ。みんな。みんなが頑張ってるから、社会が回ってるんだね。

私も私が好意を持ち、かつ私に好意的な人と会えるまで頑張り続けないといけない。


がんばろう。


仕事を考える

この世に楽しい仕事というのはあるのだろうか。


因みに小生は、世間的には楽な仕事と分類されるであろう職についている。

室内で冷暖房完備、福利厚生も充実しており、立場はかなり堅固に守られている。

やりがいもあり、罪悪感をほとんど感じない職である。


学生時代に、必死こいてどんな環境で働きたいかを考えた末の、選択だった。


環境を重視し、仕事内容は罪悪感がなければなんでもいいと割り切った。


天国のようなはずの環境なのだが、なぜか辛い。宝くじを買って、週末に祈りながら抽撰結果を見る日々である。



しかし、そもそも楽しい仕事などあるのだろうか。

楽しそうな職種といえば、野球選手や歌手がパッと思いつく。


野球選手は、毎日厳しい練習をし、技術を磨き、プレーで世間を楽しませる素晴らしい仕事である。

冷めた目で見ると、一年中白い球を投げたり、棒で叩いたり、飛んできた球を取ったり落としたりする仕事かもしれない。


意義を感じられる人もいれば、そんなことしてどうすんねんと思う人もいるだろう。


歌手は、自分の届けたいメッセージやリズムを、世間に送り出し、ある人は元気をもらい、ある人は共感して泣く。素晴らしい仕事だ。

冷めた目で見ると、歌手という仕事は同じ歌を歌い続けている仕事であり、飽きないのかと不思議に思う。


以前カラオケで、練習と思い同じ歌を20回くらい歌ったが、楽しいのは最初の3回くらいだった。


歌手は飽きないのだろうか。


芸人も、劇団員も、飽きないのだろうか。


職人といわれる人達がいる。


飽きないのだろうか。とても不思議である。


よくプロフェッショナルのなかで、この仕事に終わりはない。だから挑戦し続ける、という人がいる。


心から羨ましい。


気の持ちようなのだろうか。同じ仕事を楽しめる人と、クソつまらないと感じる人がいる。出来るなら、楽しめる人になりたい。


なぜイチローは打席に立ち続けるのだろう。なぜ羽生善治は将棋を指し続けるのだろう。


生活には困らないほどの財があるだろうに。

計り知れない栄誉を勝ち取っただろうに。



偏差値75あっても入りたいところが志望校だと、アルバイト時代に生徒さんに言っていた。


俺は1兆円もってても今の職に就きたいだろうか。

1兆円もってても、就きたい職などあるのだろうか。


おそらく、自分のためには働けないだろう。

孫正義も、ビルゲイツも、世界の人々のためにという意識で働いているという。


使命感を持って日々を過ごしている人の目はとても美しい。


私の目は、全然美しくない。


人様の為にという気持ちを持てたら、少しはいい目になるだろうか。


俺は働き続けられるだろうか。

幸せの基準を下げたい

幸せの基準を下げたい。


人生は有限であることは自明の理である。

限られた中でどれだけハッピーな瞬間をたくさん味わえるかが味噌だと、小生は考える。


以前は、幸せとはどれだけドーパミンを放出できたかに依る。従って、高所危険区域で酒飲んで、ハイレートのスロット打って、滅亡間近の清国のジャンキーよろしくハッパを吸って、かつ未知との遭遇を繰り返しまくってる奴が最高に幸せだと考えていた。


しかし、上記のものは私には実現できそうにない。幼少期に培ったガチガチの常識くんが、私の行動を制限するからだ。


上に書いたもので、継続的に実現可能なのはスロットと未知との遭遇くらいである。


しかし、1日の半分弱を労働に奉じている小生には、スロットや未知との遭遇を味わう時間は乏しい。


限られた時間の中で幸せをより多く感じるにはどうすればいいのだろうか。


ソクラテスアリストテレスか忘れたが、人間はポリス的動物であるという。


アイロニックかつ超限定的に解釈すれば、人間は社会の中で、自分の立ち位置を確認する動物であるとは言えないだろうか。言えないかもしれないが、ここは目を瞑って頂きたい。たんにアイロニックという言葉を使ってみたかっただけなのだ。


要は、人間は自分より不幸な人を見れば幸せを感じ、自分より幸福な人を見れば不幸を感じる生き物なのではないか。


したがって、限られた時間の中で、たくさん幸せを感じるには、自分より不幸な人を見るという策が考えられる。


小生は以前から、米軍のネイビーシールズに入るための訓練、通称バッツの訓練動画を見ることを楽しみにしていた。


明らかに自分より種として優っている人間が、厳しい訓練にひーひー言ってるのを見ると、自然とこころ穏やかになったのだ。


ところが、自衛隊の厳しい訓練の動画を見ると、胸糞悪く感じてしまい見れなかった。


自分と同じような顔つき(彼らは私よりよほど精悍な顔つきではあるが)のひとが苦しんでるのを見ると、共感をしてしまうのかもしれない。


したがって、自分より不幸な人を見ると幸せになれるというのは、ある条件のもとで成り立つと考えられる。


苦しそうであれば苦しそうであるほど、幸せを感じられるが、共感や可哀想という感情を持たない程度のものが良い。


今思えば、バッツは最適だったのだ。


訓練生は皆、私より余程屈強かつ聡明であり、自主的に訓練に参加した物であり、かつ優秀な教官によって命が保証されている環境での、アホほど苦しそうな訓練。



最高だ。



私はこれからも、バッツを超える絶妙な不幸や苦しみを探していく。


自分を高められないときは、自分より苦しそうな人を見てホッとするのも良いではないか。


苦しんでいる人も、人を助ける働きをしているということで徳を積めるかもしれない。

自分が苦しいときは、誰かをホッとさせていると思い、自分に価値を見いだせるかもしれない。


私は性格が悪いかもしれないが構う必要はない。自分が幸せになることが、自分にとって最も大切なことなのだから。



なーんて性格悪いこと考えなくても済むくらい、なんでも幸せに感じる天真爛漫さがほしい。切実に。

目を輝かせるにはどうすればいいのか

昔タイを訪れた時に、一番感動したのはタイ人の目の輝きでした。
あんなキラキラした瞳を持っている人を見たことがありませんでした。

日本の赤ん坊の愛らしい目も、スペイン人の熱を帯びた目も、タイ人の目の輝きに比べれば随分と控えめな目に見えました。

最近、自分の目つきがアホほど悪くなっていることに危機感を覚えています。
卑屈で、攻撃的で、他人の幸せを願えないような目に見えるのです。

どうすれば、タイ人のような目になれるのでしょうか。

タイの特徴で、目の輝きに関係がありそうな要素としては、
発展途上で日々成長を感じたり、良い方向へ向かっているという実感がある。
強烈な日光に当たっている。
微笑みの国というだけあって、よく笑う。

上記を踏まえ、筋トレして日々の肉体の成長を実感し、日焼けサロンで強烈な紫外線を浴び、お笑い芸人の至極のネタを見て表情筋を刺激する。

これを実践したいと思います。

運命(はげ)にあらがおうと思う

おばんです。


さて、夏の暑さも弱まり、秋の風を気持ちよく感じる季節になりました。頭皮で。


小生、齢24歳となる好青年なるも、毛髪だけは管理職並みの貫禄を感じさせる男です。


嘘です。流石にまだ貫禄は携えておりません。しかし、私の頭皮から毛髪が逃避するのは運命であります。遺伝子的に運命なのです。


私の父は1人、祖父は2人、曽祖父は4人おりますが、全員輝かしい頭を携えております。

親戚一同例に漏れず輝かしいです。頭皮が。


我が一族は禿げる運命にある。


このことに気がついたとき、私は中学生でした。メンデルの遺伝の話を聞いてしまったからです。

当時は困惑し、傷つき、途方に暮れておりました。


どうして私がこんな悲しい未来を背負わなければならないか、親にあたったこともあります。なぜ私が…



中学生の私は真面目で実直であり、正直と継続こそがこの世でもっとも力になると信じておりました。


従って正直に実直に生きてきました。それなのになぜ私はこんな悲しい定めを背負わなければならないのか理解できませんでした。


遺伝とは、なんと恐ろしいのか。後天的な努力や習慣では太刀打ちできない、どうしようもない脅威に感じたのです。地震や台風並みの理不尽を感じました。


私は中学三年間をかけて、禿げることへの恐怖を克服しました。シンプルに発想を変えたのです。




人は視力が低くなると、メガネをかけます。


髪が抜けたら、カツラを被ればいいんだ…



コペルニクス的展開でした。



メガネを掛ける理由とカツラを被る理由が同じであると考えた時、禿げることが怖くなくなったのです。


現代でもそうですが、カツラを被ることは恥ずかしいこと、面白いことという認識が一般的です。


正直、私も電車で寝ている紳士の頭皮がずれた時はヒザから崩れ落ちて笑いました。


なぜ、面白いのか。本当に不思議です。


メガネを外してる人を見て笑ったことはありません。

義足を外してる人を見て笑ったこともありません。


しかしカツラが外れたら、何故かとても面白いのです。


不自然だから、見栄を張ろうとして失敗する様が無様だから、等多くの可能性を考慮しましたが、見慣れないから、というのも要員の一つであると思いました。



小島よしおさんの天才的なネタを初めて見た時の衝撃を覚えていますか?


初めて見た時は、腹筋が攣るほど笑いました。天才だと思いました。


ところが数年経ち、そんなの関係ねぇ、と叫ぶところを見て感じるのは、小島よしおさんの肉体美であり、ネタの素晴らしさでは無くなってしまいました。端的に言うと、慣れてしまったのです。


笑われなくなるためには、慣れてもらうという方法が有効だと考えたのです。


当時は中学三年生で、吃音も今よりひどく、どうすれば笑われなくなるかというのは、私にとっては一大プロジェクトのような課題でした。


当時はオリエンタルラジオさんだったと思いますが、笑いを無力化するのに「慣れ」というのが大きな力を持つことに気がついたのです。


従って、カツラをかぶり、その脱着の様を皆様に頻繁に見ていただき、慣れてもらえば、私の禿げとの闘争は終結すると考えたのです。


これはある意味、運命を受け入れた上での解決策を模索したということになります。






しかし、時代がかわり、山中教授らのご尽力により再生医療という畑が開拓されました。


このころから、運命に抗えないかと考えるようになりました。


さらに少しばかり時が立つと、あるCMが目につくようになりました。


「その薄毛、お医者さんでなおせます〜♫」


そうです。AGAです。


お医者さんハゲ治せるの?まじ?



衝撃でしたね。改めて、医者という仕事が神の定めた運命に抗う大変な仕事だなと感心しました。人智を超えた仕事だなと。


数年迷いました。

果たして、AGAを使うことは人として正しいことなのか。


髪が抜けることに、なにか意味があるのではないか。それを遅らせることで、なにか大切なものを無くしてしまうのではないか。



迷いました。




でも思いだしたのです。私の望みを。


本当の幸せを探した時に、愛し愛されたいと考えるようになりました。


敬愛する椎名林檎さんの幸福論という作品の中の一節です。



そうです。私は幸せになりたいのです。幸せになるために、勉学や武道を通じ、頭と心を鍛え、多くの人と交流し魂を磨いてきたのです。


幸せとはなにか。


何年か考えましたが、煩雑になり、収束せず、曼荼羅図のような様相になったので、先人の言葉をひとまず借りようと決意しました。


たくさん調べた中で、もっとも

「ああ、そうだよなぁ。」

と思ったのが椎名林檎さんの幸福論の一節だったのです。



私は愛し愛されたい。



私が愛されるために、何が必要か。

その一つに容姿があると思うのです。


最終的には思想や習慣が織りなす人柄や精神だと信じたい。


でも、そこに行き着くまでの取っ掛かりとしては、容姿やステータスがどうしても必要だと思ったのです。




私が塾講師のアルバイトをしているときに、多くの女子中学生がイケメンの男子中学生1人に群がっていて、どうして彼がイイと思うんだい?と純粋な好奇心で聞いたのです。


「かっこいいから。」


「中身は大事じゃないのかい?」


「中身なんて見えないよ。先生は見えないものなんて信じられる?」




感心しました。この年にしてベーコン並みの経験論を携えているとは…


でも、もうちょっと形而上学にも興味を持って欲しいなぁ…てへぺろ




確かに中身は大切です。でも、中身は上っ面には中々出てきません。


相当じっくり時間をかけて、その方の所作や言動を観察しないとわかりません。



しかし地球には35億人もの異性がおり、日々何人もの異性と交流をしなければならず、その全員の中身を観察しようとするのは大変骨が折れます。



したがって、ざっくりと狙いを定めます。



就職活動の学歴フィルターと同じようなものだと思いますが、何人かの上玉を見落とすリスクを取る代わりに、確率的に素晴らしいものが高い層を見極めるのです。



そのフィルターの一つに容姿というのが大きく存在していると考えました。


容姿がタイプの人を重点的に観察しよう。そして内面までもが素晴らしければ、アプローチしようと。


しかしこれはなにも、私に限った話ではありません。



お前が深淵を覗いた時、深淵もまたお前を見ているのだ…的な。



多くの女性もそうなんではないかと考えたのです。


私にも、容姿が必要です。

でも、私は高橋克実さんのようなナイスな顔面はありません。

高橋克実さんくらいのイケメンなら髪は必要ないかもしれません。


しかし私は、本当に聖徳太子の目つきを悪くしたような顔なのです。


私には、髪が必要なのです。


私は幸せになるために、運命(ハゲ)に抗ってみよう。そう決めたのです。


生えたら、報告したいと思います。


以上

論理的に恋愛を考えてみた。

こんばんは。

毎日がエブリデイ、平成の聖徳太子です。

今日も元気に生きぬきました。


さて、一つ前のトピックと比べて、読んでみよっかなってタイトルで記事を書きます。てへ。


まず、恋愛ってなんやねん、って話なんですけど、スタンダールの恋愛論を読もうと挑戦したものの、案の定数ページで放り投げました。てへぺろ


あと、なんでこんなん考えたかというと、恋愛に効く占いとか噂でイタイ目を見たからです。財布と、心が。


樋口一葉プロマイドと交換した赤いパンツを履いていても、出会いなど来ないのです。

オナ禁に励んでも、英語のサプリを飲んでも、それだけではモテたりしないのです。


賢明な皆様に同じ目にあって欲しくないのです。



さあ、イタイ目にあったわたくしの考える、効果的な努力の方法を書いていきます。


この記事では、意中の人とデートに行くことを目標にします。その後のことは、よくわかりませんので、皆様の才覚に頼ります。




人の世の動きは複雑怪奇なので、簡単なモデルにして考えてみます。


皆様が白い玉、異性が赤い玉だとします。

四角い箱の中に、赤い玉がゴロゴロ転がっていて、そこに白い玉を入れます。


白い玉と赤い玉がぶつかったら、デートに誘うチャンスを得られると考えてください。


白い玉が赤い玉にたくさん当たるようにするためには、どのような方法があるでしょうか。


まず、白い玉の体積を増やす、ですね。玉が出かければ、それだけぶつかりやすくなります。


これは言い換えれば、各人の人としての魅力を増大させることであります。

化粧の鍛錬をしたり、体を鍛えたり、自分に似合う服装や髪型や香水を研究したりする等、様々な方法が考えられます。


次に、白い玉の速度を上げる。(赤い玉は、自分の意思で干渉できないものと仮定しました。)


これは、言い換えれば、ガンガン話しかけたり、LINEしたり、声をかけたりすることになります。


三つ目に、箱の中の玉を増やす。


これは異性の知り合いを増やすと、言い換えられます。

紹介してもらったり、合コンしたりすればいいのです。


もっと色々な方法は、簡単に思いつきますが、残念ながら余白が足りない。


この記事で言いたいことは、シンプルにモデル化して考えれば、効果がありそうな行動を選択できまっせ!ということです。


赤パンツはいたら、白い玉の体積は増えるのか、少し考えてから買えば良かったのです。



ちなみに、かつてシャイでウブだった私の恋愛の作戦は、意中の女性と偶然二人きりになって、偶然向こうが私に好意を持っていて、偶然話しかけてくれるのを待つという作戦でした。


ボールのモデルに当てはめると、白い玉は動かさず、赤い玉のブラウン運動に期待するのみ、ということです。


絶望的です。頭使ってなかった高校生の私。



とにかく、変な噂や都市伝説に振り回されない、筋の通った思考を武器に、春を謳歌してほしいと願っています。


まあ、サラッと言えば、自分を磨いて、たくさんの人にガンガンアタックすれば、いつかラブラブランデブーできんだろって結論です。 ゴ メ ン ナ サ イ ネ 笑


ただ待っているだけでは99.9%何も起こりません。保証します。自らが動かねば

仕事中に思いついた革命の方法

ごきげんよう、皆様。

一ヶ月に20日間くらい、仕事から目を背けたくなる新卒1年目の男です。

世間一般的にホワイトな職場と言われる組織に入ったのですが、これがホワイトなら確かにブラック企業は過労死する人がいるだろうな…というくらい仕事に追われています。

朝5時に起き、7時に職場につき、22時前に職場を出る生活です。完全週休二日です。ホワイトだろ!と思う方もいるでしょうし、きっつ!辞めちまえ!と思う方もいるでしょう。感じ方は人それぞれで、辛さやキツさも個人の感性に依存するものと思われます。

嫌いな言葉は、普通とか常識です。普通ということばを多数派と言い換えていってくれたらわかりやすいのですが、普通と言われたら途端に拒絶反応が起こります。

ただ私はキツイと感じている。この生活に。なぜなら仕事以外に使える時間がとても短いから。

仕事きっつー!って思ってたら、なぜ人は働かなければならないかを考えると思います、普通。

働く意義は多岐にわたり、自分の労働時間と産み出した労働価値の対価として、お賃金を頂く。社会への貢献をすることで充足感を得る。いい仕事をすることで自分の存在を肯定的に捉えてもらえることがある、などなど。

別に働くことは嫌いではありません。むしろ好きです。困難を乗り越えた達成感を得るのは気持ちいいし、皆様の役にたっているという実感は心地よいです。

どこに不満があるかというと、働く時間の長さです。長すぎます。コンピュータが発達し、かつては手計算で何時間もかけていたことが数秒でおわります。コピー機があるので複写に時間をかけることもありません。こんなに科学技術が発達して、我々の苦労を機械が代替わりしてくれているのに、どうして我々は何時間も働かねばいけないのでしょうか。

昔8時間かかっていた仕事も20分位で終わる時代になったのに、なぜ仕事は減らないのでしょうか。私がアホちんだからでしょうか。

予想ですが、かつての人達より求めるものが増えた分、産み出さねばならないものも増えたのでしょう。たぶんこれだろ。仕事が増える原因なんて、需要過多しか思いつかねーし。求めすぎなんだよベイビー。

なんのための科学技術だよファッキン!!と毎朝思っています。

不平不満をつらつら考えていてもフラストレーションが増すだけなので、打開策を考えます。

不満を述べて解決されるなら、この世から不満などとうの昔になくなっているでしょう。

打開策や行動のみが、我々を救ってくれるのです!

では、そろそろ私の思いついた革命の方法をお伝えします。それは

「金とかマジでいらねーよ、重いし、使い道ねーよ!!」

と言うのです。人類の9割の人が心から先の台詞を言えるようになったら、この世に革命がおこります。断言します。ちなみに金はゴールドの方です。マネーではありません。

一般的に金は価値が高いと思われていますが、なぜ価値が高いかと言うと、価値の変動が小さいからです。価値価値価値価値とわけわかんねーかもしれませんが、そういうことなのです。

具体例を示しましょう。

もし今、聖徳太子並みのイケメンが、あなたに、100kgの金塊をくれると言ったら嬉しいでしょうか?

嬉しいでしょうね。なぜなら、「これ一体いくらになるんだろう❤︎」と未来への妄想が止まらないからです。

すなわち、金そのものに対して嬉しいと感じるのではなく、金と交換可能なサービスやモノに対して魅力を感じているのです。

では次に、なぜ金が様々なモノやサービスと交換可能かを考えてみましょう。

人類はもともと、モノとモノを直接交換していました。物々交換ですね。

でも、モノを常に持ち運ぶのはクソ重いしダルいですよね。しかも小野妹子とは林檎三個と鰯一匹が交換可能だったのに、聖徳太子とは林檎200個と鰯一匹で交換になったりするわけです。聖徳太子が林檎あんまり欲しくないなーって思ってたら、そうなるわけです。

ファッキンですよね。林檎200個も持ってきてねーよってなるわけです。

だから、持ち運びも便利で、どんなモノとも交換可能なマネーができたわけです。しかもマネーは腐らないので貯蓄も出来ちゃう優れもの、林檎とは大違いです。

そんな優れものマネーですが、マネーそのものに価値がなければ、マネーの務めは果たせませんよね。

昨日まで使えたマネーが、翌朝起きたら使えなくなっちゃうとか超困るじゃないですか。

だから、マネーはそれそのものに価値があるゴールド(←私はここが微妙に違和感を感じており、今回の革命案はここに着目したモノである。)がその役割を担っていたからです。

ゴールドは、地球上に存在する量が25mプール1杯分しかないし、化学的に安定なので、変化や摩耗が少ない、つまり勝手にガンガン増えたり減ったりしないという特徴があります。

昔のマネーは、いつでもこのゴールドと交換可能だよん❤︎という約束のもと成り立っていました。兌換紙幣ですね。

今は、金の量も多くないし、一々金を運んだりすんのダルいから、”信用”によってただの紙切れであるお金がマネーの役割を担っています。

みんなが好きな諭吉先生の顔入りの紙は、しょせん紙でしかないですよね。南極のど真ん中でなんの役に立つというのでしょうか。

ただ、みんなが諭吉先生の顔入りの紙は、きっと明日も明後日も、いろんなモノやサービスと交換できるって思っているから成り立っているのです。

因みに諭吉先生と書きましたが、私は慶◯大学の学生ではありません。単純に諭吉先生の一身独立し一国独立すの考え方に感動し、勝手に先生と呼んでいるだけです。

さあ、いよいよ私の革命のアイデアの説明です。

皆様冷静に考えて欲しい。価値が変わらないという価値がある金ですが、皆様マジで欲しいですか?

金を持ってなくて困ったことありますか?

ないでしょ。たぶん。私はない。持ったこともパチンコ帰りとか、そんなとこです。

金、いらなくね?

マジでみんなが「金、いらなくね?」と言い始めたらどんなことが起きるでしょう。

金以外のモノが価値を持つのです。金のかわりに。今、スイスの銀行に金をたんまり溜め込んでブヒブヒ言ってる奴がヒーヒー言いだすのです。

昨日まで、あんなにいろんなモノやサービスと交換可能だった金が、いきなりピカピカの石ころに変わるのですから。

そして、金以外に価値を持つモノが、もしかしたら貴方がたくさん持っているモノに変わるかもしれないのです。貴方のもっているパンティーやハンガーが昨日までの金と同じ役割を果たすかもしれないのです。

さあみなさん。金なんていらねーよ!と大声で叫んでください!

金をお持ちの皆様、それを河原にそっと置いてきてください!私がこっそり拾いに行きます!

皆様!革命の始まりですよ!

人類の9割がそれを言うようになったら、私は金を買い占め、ボストンに金の茶室を作って、ボストンゴールデンティーパーティーを催したいと思います。

因みに諭吉先生の顔入りペーパーも大好物です。

注意書き

ネットの情報は玉石混淆といいますが、これは間違いなく石ころです。私は経済の専門家ではありません。大学の専攻は土木だし、マルクス資本論だって数ページよんで放り投げました。

どうか真面目に捉えず、金をギュッと抱きしめることをお勧めします。ではまた。